選挙で政治家を生で見てから興味出てきたんです
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間違って使っている言葉、というのは誰しも一つくらいはあると思うが、
みんなが共通して間違って使っている言葉となると
「確信犯」とか「姑息」あたりになるのだろうか。
前者は本来自分は悪い事をしていないとおもってすることだが、
最近は悪いと思ってあえてするというような意味に使われているようだ。
後者は一時凌ぎ、というような意味だが卑怯な、という意味で使われることが多いように思う。
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選挙前から民主党は『無駄を無くし埋蔵金を使用すればマニフェストに書かれた政策は実行できる。』と繰り返し主張していた。
主張していた事が単なる妄言であったことが明らかになっても、無駄の削減に向け努力しているかの如くの姿勢をマスコミを通じて垂れ流すことにより国民からの共感を得ようとし、それを国民が唯々諾々と受け入れる茶番がこの仕分け作業の実態である。
確かに今まで予算配分が結構いい加減な理由で決定されていた事が白日の下に曝された事は評価するが、政府の目標である三兆円削減の結論すら出せない会議など無意味である。
財源はあるって散々いってたじゃん。
麻生さんが何回財源はどうするんだ?
って聞いてたでしょ?
過去最大の予算を計上して過去最大の赤字国債発行が濃厚だ。
しかもその殆どが経済的にみても成長方面からみてもなんのプラスにもならないときた。冗談抜きで四年後には世界経済のトップ20にすら入れないかもしれない・・
色んなことで人間誰かに支えられ、そして助けられながら生きているよね。
1人でいると思ってる人も誰かしらに支えられてるんだよ。
何事においても1人では生きていけない生き物なんだと感じることが多い。
お世話になってる人、家族、大事な人、恋人などなど。
自分も今こうやって充実した刺激のある生活が送れているのもみなさんのお陰だと思います。
民主党が政権を取ってから約1カ月がたちました。
国のお金の使い方が、大転換を遂げようとしています。自民党政権下の公共投資にお金を入れるなどから、子ども手当のように最終需要のところにお金を入れる政策への転換です。
最終需要サイドに手当や補助金を出して直接需要を作る政策は、下手をすると人気取りのバラマキになりかねません。
しかし、公共投資型需要政策がこの15年~20年の間日本経済を浮揚させることができなかったのは事実。
最終需要サイドにお金をまわすチェンジは、一回やってみるだけの意味があると思います。 。